フガドコ

広島見るもの歩くとこ

2009年05月

昨日、袋町の市民交流プラザで「第1回 ひろしま都市デザイン研究会」なるイベントへ行ってきました。元々街造りは関心がありますがテーマが「旧球場跡地から考えるひろしま都市空間ビジョン」となれば行くしかないでしょう。

このイベントは若手地方議員の集まりであるWiLL(NPO法人ひろしま青年円卓会議)が主催し、広島市とユニタールが後援。若手建築家と広島国際大学の石丸教授、広島市の都市デザイン担当の課長との間でディスカッションしようというものです。

袋町で18時開始となると通常の業務ではどうやっても無理で必然的に脱走兵になるしかないわけです。どうせ土曜も仕事が入っているので頼んだぞ明日のワシ。って具合です。そんなわけで17時を過ぎると隠れるが如く退社です。
会場に着いたのは開会して15分ほど過ぎた時点でした。入り口で資料をもらおうとしたら、受付のお姉さんがとっとと引っ込めてしまい、もらえずじまいでした。私以外にも顔を見て明らかに一般客だとえらく態度が冷たかったです。いいのかそれで?もちろん記帳も求められず。

一応最後までいましたので、メモと記憶を頼りに話の内容を羅列します。あくまでも私の主観と記憶に基づくものなのでその辺はご了承を。

立ち見を入れて120から130ぐらいの参加者がいたでしょうか。
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1/3は学生。市の職員が10数人、主催者の関係者が同じくらい、残りが一般でしょうか。私のまん前には主催団体の代表者と同じ会派の議員さんが座っていました。一般客が立ち見で溢れる中で関係者が椅子から動かない光景ってのはなかなか見られるもんじゃありません。私もかって何度か議員主催のイベントの手伝いをしましたがこういう場合は真っ先に議員は椅子から立ちます。だって地元で何言われるかわかったもんじゃないですからね。

私が入った時には石丸教授の話の最中でした。石丸教授は戦後復興がどのようなビジョンに基づいて行われたか、成功した事例とそうでない事例とを資料を交えながら分かり易く説明していました。特に基町に関しては中央公園と高層アパートの関係を強調されていました。基町住宅に関しては公園用地が削られたが住宅を整理し中央公園を作るためには必要だったと解説。

続いて広島市の都市デザイン担当課長の津田氏が講演。広島市は景観協議制度で重点地区に対しては事前の届出で協議することにしている。原爆ドーム周辺では平成20年施行の景観形成基本計画に基づき景観計画を策定中と説明。どのような方向かははいいませんでしたが示したイラストだと、中層の間口の広い商業、飲食店舗が描かれていましたので間口の狭い土地の地権者は単独での土地の運用をせずに共同ビルへの立替を誘導しているのでしょう。更に著名な建築家に設計を依頼し良質な公共施設を整備する「ひろしま2045:平和と創造のまち(以下P&C事業)」を行っていると説明。これには中工場や西消防署、矢野南小学校等があります。

この辺りで既に19時を回っているのですが途中入場者が続きます。皆様仕事を終えられてから駆け足で来ているのでしょう。そこで気になるのが戸が開くたびに聞こえてくる会場外での大きな話し声。時には大笑いまで聞こえます。中で講演しているときに普通はそんなんことしないんですけどね。これは会の運営に不慣れとかではなくて単に常識があるかないかの話

続いて広島の若手建築家集団HUDLのメンバー、土井一秀氏、小川文像氏が講演。

土井氏
初っ端に球場跡地は公園として使われると聞いていると発言。
海外の公園を紹介、オープンカフェや野外コンサートなど、本来の公園の使われ方とは違う利用を”間違った使い方”と紹介。公園の間違った使い方=豊かな都市であり、公園は使う人の創造性により変化する。球場跡地は公園にすれば皆が自由に使えて都市の魅力が増すと主張。

小川氏
緑は都市の肺。
オープンスペースが多い都市は豊かな都市。
広島は川辺に人が少ない。球場跡地は川岸から続く人口の丘にすればいい(ピースヒル?)地下を駐車場にし、大手町を歩きやすくするといい。

続いてディスカッション。
広島市内部において50年前の丹下プランが今どういう扱われ方をされているかを聞かれた津田課長は具体的には川辺の活用とグリーンベルトを都市軸に沿って整備と答えました。

建築に対する欧州と日本の違いという問いには、
吉田氏は欧州では新しい建物が建つと建築が頻繁に新聞に出、街づくりに対する市民の感心が高いと話し、
小川氏は欧州は建築のデザインや素材に対する規制が厳しいが日本は規制が緩いので恵まれていると発言。正直なところ、この発言には落胆させられました。規制が緩いからこそ、その場所の過去を探り、現在と調和し、未来を導く建築を四苦八苦しながら求めるのが件聞建築家のあるべき姿だと考えていましたから、クライアントの要求を満たすだけとか自己主張出来ればO.Kといった姿勢では市民に受け入れられる街造りには程遠いのではないかと思うのです。

跡地利用に関する問いでは、
市役所、HUDLメンバー共に建築物は不要で、公園の緑のイメージを共有と発言。
対して石丸教授は市民球場は景観、歴史の宝庫であり、利用に関しては市民の意見を幅広く聞き、集約しなければいけなかったと市の姿勢を批判。市民球場は復興の象徴だった、緑だけでなくそれにプラスするものが必要と主張。平和公園では原爆被害の悲惨さを強調するあまり語ることの出来ない復興の話が出来る場に出来ないか、ユニタールも復興のプロセスに関心を持っている。復興を見守った空間を継承しないといけない、緑だけでは駄目で賑わいが必要との発言。

中心市街地の活性化に対しては荒木課長は球場跡地の公園はオープンなスペースなので屋台村もO.K。折鶴展示と音楽演奏の出来るホールで人が集まる。基本方針は広場でいくと。
吉田氏は公園なら予想できない使われ方を誘発できる。

景観と建築という問いには津田課長は協議制度は突出したものや醜いものを排除する。どんなによくても目立つものは駄目と。これは景観を誘導するようなものは駄目ということ。にもかかわらずP&C事業では質のよいもので周辺をリードすると発言。これは矛盾してないの?民は駄目で官主導ならといいということ?この発言の際、「市は自分で金を出すので・・・」と発言。役人の金銭感覚が思わず出ました。慌てて税金でと言い直すも客席の馬庭市議に睨まれる。後日厳しい追求があるかもしれませんが馬庭市議も講演中に携帯鳴らして椅子蹴飛ばしながら飛び出たんであまり大きいことは言えないかも。P&C事業は優秀な建築家を市が判断し指名してやらせている。外部の評価もいいと発言。
土井氏は欧州では高さ、外壁や柵の素材まで規制があり、全て建築主が負担しないといけない。日本では自由すぎて何が美しいか分からなくなる。もっと多様にすべきかそれとも協議をすべきか葛藤があると発言。
これに対して石丸教授は街づくりに解答はない。例えば香港は無茶苦茶だが間違いではない。協議での異質なもの排除はその場限りではないのか。魅力的な街づくりにはもっと勉強すべき。並木通りの例を挙げ、かって加藤さんという代表は何か建つたびに建築現場に乗り込み修正を求めた。明らかな越権行為だがこれにより今の並木通りがある。ルール作りは地域の人が始めるべきで行政はそれを支援するべき。行政はノウハウを持っているのので一つに絞るのはいかがなものかと主張。

街づくりの取り組みに対する問いでは
津田課長は市が関われるときには専門家の派遣もしている。
小川氏が方向が定まってない、全体を包括するものがない、これらを決めていかれないかと問いかけ、
津田課長が景観計画を順次決めていくと回答。
これに対し、小川氏が我慢を強いるような負ではなく正をと発言。

ここでディスカッションを終了し、質疑に。
一人目の質問者は市内の建築家。仲間と連れ立って参加のご様子。
平和大橋のコンペは素直に今の橋を広げればよかったのではないかと。歩道をかけるのは誰が決めたのか。跡地利用には何もしないで将来にとっておくという選択肢もあるのでは。平和大通りのリニューアルで舗装をしているが土に触れられる貴重な場所であったのに誰が決めたのか。
荒木課長が回答
平和大橋は要はいっぺんに架け替える金が無いので細かな改良で対応。
跡地は4年以上かけて緑地にすると”市が”決めた。都市の一等地に球場をを残すことは考えられない。
平和大通りは土に近いタイルで対応している。
答えになっていない回答に質問者が不満を唱えるが石丸教授がこういう場では自分の求める結論にならないことに文句を言ってはいけない、いろいろな意見を集約する努力をすべきと発言。そして、この姿勢が広島市には欠けていると両課長に指摘。
続いての質問者は建築を学ぶ学生。
平和公園は地元の人間が利用しないのではないか、クレドの広場がランドスケープ的に優れているというが郊外のSCの方がはるかに人が多い。そもそもデザインが必要なのかというある意味ピント外れのある意味モロど真ん中の直球の質問。
津田課長が回答、平和公園に関しては慰霊の場なので市民の憩いよりも市外からの観光局が多い。市民本位の仕掛けはやりにくい場所ではある。
利便性の問題があるので人が多い=ランドスケープ的に優れているわけではないと回答。

ここで今回の研究会は終了です。話があっちいったりこっちいったりして分かりづらい面があったのですが私の主観と独断ですごく乱暴にまとめますと、度々石丸教授の指摘があったように広島市中心部のグランドデザインは丹下プランそのものであり、都心に大規模な後援を公園を作ろうとしたが基町高層住宅などで削らざるを得なかった。私はこの丹下プランは戦後50年たっても広島市の内部で生き続けていて市民球場解体への動きは正にその表れであるのではないかと考えます。
市の内部では公園化は議論の余地も無い状態で専門家による審議会はそれに賛同する人選をし、市の方針にお墨付きを与えるだけではなかったのではないでしょうか。

平和の軸線という丹下プランは確かにすばらしいものです。しかし、それは戦後50年の現実の復興の歩みををチャラにしてしまうほどのものでしょうか。石丸教授が言われたように灰塵の中からの復興を語る場としては市民球場はこれほどふさわしいものはないのではないでしょうか。

ちなみにWiLLメンバーで広島市議は豊島岩白市議と三宅正明市議の2人。三宅市議は3月の予算執行を止めた政和クラブの所属ですが豊島市議の会派は市のプランに賛同し、御自身も市民球場は解体、ファミリープルも2ヶ月しか営業しないから閉鎖、中央公園に丹下プランに基づきサッカースタジアム建設を主張の人。高齢者が多い公営住宅のそばにサッカースタジアムですか。ワタクシ、この人の選挙区民ですけど市政改革よりも議会改革の人って印象しかないですわ。

実のところ折鶴施設の是非を青筋たてて議論するという現状は広島市や豊島市議のような緑地公園を推し進めようとする丹下プラン原理主義者にとっては批判はすべて折鶴や市長に向かうので公園化のいい隠れ蓑になっているという状態のようです。
今後折鶴施設を除いた公園化のみで予算の採決をとった場合は通ってしまう可能性が十分にあります。私達にできることは解体反対の声を上げ続けるしかないのです。

最後にこのイベントの趣旨は「都心に大きな緑地があるのは素晴らしぃー、球場跡地は緑の公園にするよ」ってことを言いたかっただけじゃないかと。公園化を進める広島市と建築家の中を推進派議員が取り持ったてことじゃないですか。

昨日、戦後歌謡界の代表的な作詞家の石本美由紀さんが亡くなられました。

大竹市出身の石本さんには「憧れのハワイ航路」」「いなかっぺ大将」など数多くの作品がありますが、中国新聞は何故「広島カープを優勝させる会」の代表を務めた事は書きながら何故「燃える赤ヘル僕らのカープ」の作詞をされた事を書かないのでしょう。

RCCはバーバラーがきちんと言っていたぞ。

社内行事の為、日曜なのに15時まで拘束なり(いや、正確には前日からなんだけど)こんな時間に釈放になりゃ、まっすぐ帰るわけはなし。県立美術館で開催の「大名庭園展」へ行きます。DSC01178_028
入場料1,200円。ちゅーぴー会員で100円割引で常設展と縮景園の入園料が込みです。

展示内容は各地の庭園の絵図に茶器や絵画など。ご当地広島の武家茶人上田宗箇関連もあり。むしろこれがメインかも。名器「さても」を見られたので私は満足。スパッと削ぎ落とした様な造形はいかにも武家茶道の趣です。

縮景園と一体化した造りがここの魅力。
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ここまでは無料では入れるので庭を眺めながらぼっーというのも可。

縮景園自体は上田宗箇の設計ですが後の大改修で今では面影がありません。

定番の一枚。
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右側に建築中のマンションが大きく入ります。
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北側を斜めにカットしたデザインとかないいのですが無理だろうなあ。

のどかなカメの甲羅干しとか言ってはいけない。
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こいつらアカミミガメです。要はミドリガメの成れの果て。 

裏側にまわるとまったく違った顔を見せます。
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涼しいし、静かだしリフレッシュには最適です。
東側の高台から。
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結局、1時間かけて外、中、内周りと3周してしまいましたよ。回遊式低庭園恐るべし。

うちの会社は出勤の締めが20日なものですから、休日出勤の代休は翌月20日までに取るのが原則です。なもんでぎりぎりの19日に取ったらちょうど新球場で2軍戦がある日ではないですか。これは行かねばと急遽予定を行ってきました。

例年なら市民球場よりも多く由宇球場へ通っている私も、今年は試合が無い日も新球場へ通っている日が多かったのでウェスタンリーグ観戦はこの日が初めてだったりします。

おお、結構な数のお客がいるじゃないですか。夕方のニュースでは1,700ほどの入場者があったそうです。
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SS、S指定席開放だったので、ここぞとばかりにいろいろな場所へ行きましたよ。
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最初に座ったのは3塁側のベンチ裏最前列。いやーこんだけ近いと砂被りでなくてもいいかも。適度な高さがあるので見易さではこちらのほうがいいでしょうね。

先発はコズロスキー。
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1回こそ不運な連打で2点を失いましたが以降は安定。おっこれは昇格か?と思いましたが6回に突如ストライクが入らなくなり降板になりました。先発は無理かも。

巨体に似合わない一本足打法の松山。
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カープで一本足というと足の裏を投手に向けてから踏み込む”ドタ足”高橋慶彦を思い出します。

ベンチのさわやかな若鯉達。
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ベンチのおっかない中年鯉達。
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体格に似合わず俊敏な守備の松山。
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ただのデブじゃないことを証明します。でもスタンドのちびっこからの声援は「アンパンマン」

打撃でも好調コズロスキー。
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打席に立てば得点に絡む活躍ぶり。

久振りの町田。
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1塁ベンチに浅井がいるのでかっての左右の代打の切り札が揃います。

4回で席を移動します。今度は1塁側の25列目。
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この辺まで日陰なんです。暑かったんです(笑)

臨場感と試合展開の流れと両方を堪能するにはこの辺がいいバランスかもしれません。DSC_5996_012


内野しかお客がいないのにサブスコアボードが動いています。DSC_5978_011
何も考えていないのか、はたまた開放しているコンコースからのお客に対する配慮か。どっちでしょう。

バックネット裏最前列の臨時スコアラー席にいたのは、高卒ルーキーの中田。DSC_6068_013
地元広陵出身。

また席を移動。今度は4列目だったかな。
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ホームインの瞬間が見えて楽しいです。

手帳を持つ浅井コーチ。
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手帳のサイズが意外に小さい。A4クリップボードや大学ノートのサイズが似合いそうというのは偏見?

申は今日も出番なし。
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正直なところ比嘉を出すくらいなら使ってほしいところです。

ドーマンはボール先行でストライクを狙い打ち。
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強烈な当りを腹で受けてしまい、慌ててボールを拾う松山。
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後ろに抜けなかっただけでもよしでしょう。

小島はあえなく1失点。
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最後は青木勇。
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試合後の一礼には中田も参加。
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いやー細いですねえ。まずは体作りからです。

市民球場での2軍戦は毎年楽しみにしていましたが、新球場は席のバリエーションが増えた分、更に楽しくなっています。選手も早くこの場所の1軍戦に出られるように奮起してほしいものです。

先週、仕事で安芸太田町を駆けずり回る羽目になったのですが、そこはただで済ませないのがふがじんさん。
息抜きの間に人生やっているといると定評のあるふがじんさんです。下手に遠出でもさせようものなら思いっきり趣味に走ります。まあ、通り道ですし全体からすればほんの20分少々ぐらいのロスなので勘弁してもらいましょう。

かっての可部線加計駅は更地の駐車場になっています。元々加計駅は市街地の中にあり、幹線道路から外れた場所にあるの道の駅的な用途にもならないのに馬鹿でかい駐車場を作ってどうすんの?といった感じです。廃線後しばらくは第3セクター等での鉄道の復活を望む声が多かったのですが町の財政は県内でも屈指のずんどこぶりで、とてもそんな余裕はなく、夢を絶つ為にとっとと壊してしまったのが真相でしょう。うーん、どこかの現在進行形の話とよく似ています。

鉄道の復活が幻となったあとも地域の有志であるキハ28保存会の皆さんがJRから譲渡されたキハ28と線路の整備を続けられ、町のイベント時にはわずか100mしかない線路ですが運転をし、町興しに貢献しています。

そんな加計駅に2008年3月、新たな車両が加わりました。
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マクラギ更換機「KHR-106A」熊谷組が1968年に製造し、国鉄から新潟の蒲原鉄道へ譲渡され、廃線後は岡山の片上鉄道保存会で保存、2008年加計のキハ28保存会に譲渡されました。現存するマクラギ更換機の中でももっとも古株の車両です(というか、このシリーズほかに現存するの?)

後ろ側。片上鉄道保存会で整備されていたので実にきれいです。
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ここの家主のキハ28。
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普段は車庫の中です。

ポイント切り替え器も残っています。
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駐車場の真ん中にポツンとホーム(の1部)が残されています。
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どうせ残すのなら線路も残せばキハ28と合わせて鉄道公園の趣になったのでしょうが、もったいないことです。どーでもいいけどホームの切断面を無理やり河原石積みにするのはやめい。まだブロックの方がましだ。

可部線の車両保存といえば安野駅のキハ58。
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ココも旧加計町です。

安野駅はホームと駅舎がほぼ完全形で残っています。
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車両内部は時間貸しをしてくれるそうです。
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車両後部は椅子が取り払われ、お座敷列車の状態で宴会も出来ますが、花のシーズンには結構な人が来ますので落ち着かないかも。

駅舎・ホーム・機関車を入れるとこんな感じです。
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安野駅といえば猫の駅長。
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駅長かどうかは知りませんがえらくふてぶてしい大猫がベンチで毛づくろいをしていました。

私の田舎は旧湯来町なのでかっては可部線で帰省したものです。なのでこの両駅の車両の色は実に懐かしいです。
加計駅と安野駅に分けて保存するよりも1箇所にまとめるほうが誘客・整備の両面からもいいのでようが、そこは地元の人の思い入れがあるので難しいとこです。個人的には加計の機材をポイントを含めて安野に持っていけばかなりの規模の鉄道公園になると思います。

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