フガドコ

広島見るもの歩くとこ

2009年09月

お仕事でぐるぐるしていたら見つけたのがこんなもの。

移動式ピッチャーズマウント
分割して移動でき中央部には土を入れて本物ぽっくしたもの。
人工芝の多目的広場を主なターゲットにしたものですが、別に天然芝で使ってもいいでしょう。

そうなるとバッターボックスをどう処理するかが問題ですが、これはどうやっているんでしょ?

で、ワシはなにしてたんだっけ?

本日、県立美術館地下講堂にて「広島文化会義準備会」なる団体主催のの市民シンポジウム「明日の広場」が開催されました。協力は皆様お馴染みの中振連にセトラ広島。この組み合わせで尋常な展開はあるまいと乗り込んだのですが、ある意味肩透かし。非常に中身の薄いシンポでありました。理由は後述。

開始時間13時30分にはAFH開催のシンポの2割り増しくらい大体60名くらいの席が埋まっていました。前の方は関係者っぽいですし、あの大雨の中AFHはよく集めたんだなあと妙な感心をしたり。

ここからはメモ書きを元にシンポの様子を再現します。言っておきますがこれはあくまでも私というフィルターを通した主観に満ちた文ですのでお忘れなく。

開会の挨拶はセトラの若狭氏。
この場で
1)先日中国新聞に報道の告知では市の計画する広場案に賛成する団体とされたがそれは違う。案の中にある市民広場に賛同している。
2)今回のチラシと横浜国際映画祭2009のチラシとが非常によく似ているが無関係。幾つかの案から選んだが似ているとの指摘は配布の後に出た。
と説明。既にこの時点で先行き不安。

続いて文化会議準備会代表の前広島現代美術館副館長の竹澤氏の基調報告。
「広島文化会議」が「明日の神話」誘致の流れを組むこと、文化面で立ち遅れている広島だが海外ではヒロシマは知名度があるそのギャップが惜しい。神話誘致の経験から市民が動けば行政も協力する。市民と行政が協力しないといけない。自分たちは建物のような箱物ではなくいろいろなことが出来る広場を求めると。
 正直な話、「明日の神話」誘致というのは極々一部の有志の中でしか盛り上がらなかった話です。広島が駄目で渋谷が良しとなったのは広島がぎりぎりまで具体的な設置案を出さず、最終的に出したものも物置に毛が生えた程度なのに対し渋谷は人通りの多い駅からの屋内通路に設置すると言ってきたためです。はなっから勝負になっていないのです。それを全市的に盛り上がりを見せたというのはどうかなあと思うのです。えっAFHも認知度低いですよ。一般向けの告知が全く駄目ですからね。誰か全面広告のお金を出してください。

続いて、こういう場ではお馴染みの古池周文氏が広場の歴史を古代ギリシアから紹介。ローマや日本の神社あたりで突っ込みを入れたかったのですが、シンポに移ると神社に関しては東氏から指摘が入りました。

続いて広島市立大学学生・OBによる短編アニメ3本上映。

ここまでで1時間。

休憩の後パネリストのよるシンポジウムとなるのですがここでも、てんでバラバラ。
第1部「明日の文化」と「明日の広場」第2部「明日の広場」のハード、ソフトについてそれぞれ語るのですがパネリストが7名と多すぎて1人持ち時間が10分以下では討議も無しではどうしても中身が薄くなってしまいます。ダイジェストもいいとこ。この辺は次にシンポをやるときの参考にしましょ。
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まずは第1部からですが石丸教授からになります。
石丸教授は戦後復興と平和記念都市建設法と基町についてを説明。広島は原爆で都市が壊滅。復興に困窮し国から2/3の補助を引き出せる建設法にたどりついた。戦後広島の復興の3本の柱は平和大通り、平和公園、河岸緑地。復興は平和都市建設という建設法高度な理念と物質的なせめぎあいとがぶつかりながら進められた。建設法の制定が確実視の段階で平和公園のコンペで丹下案が選ばれた。丹下は平和公園を設計したがその後の使われ方(式典・資料館)は想定していなかっただろう。
中央公園は当初70haの計画だったが一部を住宅に変更。これはやむを得なかった。
再開発にはその地域と無関係の専門家ではなく関わり持っているものが主体的に関わるべき。
石丸先生の話は以前、都市デザイン研究会で話した内容と殆ど一緒。要は主催者が何について話してくれというのを伝えられなかったということ。

続いて、中国博報堂の北野氏。
1)プロジェクト。理想と現実。球場跡地に関してはいろいろな提案をした。何をするにも平和記念都市建設法と都市公園法の2重の縛りがきつすぎる。規制を緩和できる特区にして欲しい。
2)プロモーション。内向きにすべきか外向きにすべきなのか。それも検討すすべき。

文化会議・前現美副館長竹澤氏。
現美のヒロシマ賞を紹介。海外では「ヒロシマ」だと反応が違う。海外の有名どころでも必ず受けてくれる。美術館は行政の縛りが大きい。明日の広場は市民主導。

著述家の東氏。
ここにはいい年のおじさんしかいない。そんなので「明日の文化」が出来るのか。
今は行政や企業ではなく金のない人が文化をつくることが出来ない。明日の広場はそうでないので希望を持つ。

県観光連盟次長宮島在住の百々氏は広電入社後アニメーションビエンナーレーに出向。経済界から1億円を引き出し国際アニメーションフェスティバルのバックアップとしてビエンナーレを開催。この3月に解散。観光連盟に出向。
丹下の広場は平和教の神域。本尊は原爆ドーム。折鶴施設は区域外への分詞である。平和公園の拡大である折鶴施設の前で自由な創作活動が出来るのか。現実に平和公園では出来ない(例外で米米クラブの石井だけは2回も資料館下でイベントしているとのこと)
行政に任せると大きな公民館のようになり、コンテンツツーリズムにはならない。
この平和教というのは分かりやすいです。

RCCプロデューサーの門田氏は、FFやフードフェスタ、奥田民生市民球場ライブなどを手がける。
自らの経験からFFやフードフェスタを球場跡地ですれば150万人の集客できるという話を一蹴。FFもフードフェスタも平和大通りや広島城という場所があってこそのもの。
市民球場は昭和の産物としてそのまま残し、様々なコンテンツをはめ込んで使うべき。球場を一周する折鶴ロードをつくりそこを回ると結ばれるというような”嘘”を広めれば人は来る。市民球場でコンサートをしたいというアーティストは年に2回ぐらいだろう。メインコンテンツは高校野球とサッカー。

中国新聞副社長の山本氏は今回の選挙の各党のマニュフェストに文化・観光・芸術は一切書かれていないと指摘。広島の問題点は歴史・伝統文化が大切にされてないこと。人をもてなすのが下手。奥ゆかしく広島自慢をしない。海外でのヒロシマの知名度を生かせない。海川山の自然資源を生かせない。自然のハードは足りている。足りないのはソフト。

ここまでがシンポの第1部。
ここで休憩を取り15時35分よりシンポの第2部スタート。

まずは世界の広場をプレゼン。野外オペラやカーニバル、ビエンナーレを紹介。90年代に途絶えた竹の力で石を地面に叩きつける袋町公園でのイノコフェスタも紹介。

2部のシンポは「明日の広場」のハードとソフトについて。
石丸教授よりスタート。
ハードは球場だけで考えてはいけない。広大跡地、被服廠、比治山などネットワークも大事。これらの場所について広島の文化人が発言しないのは何故か。広島は復興の恩返しをすべきではないか。復興の情報・知恵を発信ということでしょうか。日本から消えていった屋台文化を復活させて世界のものも含めて交流できないか。例えばアメリカの屋台が2ヶ月ほど営業して帰るとか。屋台は失業からの復活にもいける。

博報堂北野氏。
毎年ノーベル平和賞を呼ぶ。世界の資産家にパトロンになってもらいカンヌ映画祭広告際のようなのを開く。世界へ向けて発信。球場は壊しても残してもいいが情報のユニバーサルデザインを徹底しないといけない。今の広島は無頓着すぎる。

前現美副館長竹澤氏。
人が来ればいいというものではない。ヒロシマにとってふさわしいものを。現美のヒロシマ賞を広場で開催。

東氏。
マイアミの広告際を例に。街中のあらゆる業種が協力し、誰でも参加できるイベントをしたい。ヒロシマ平和映画祭2009はそのようにしたい。広島は交通が分かりにくい。被服廠等は案内しにくい。もてなしの心がない。フィルムコミッションも平和公園周辺しか案内できない。世界では市民を広場から占め出す”広場殺し”が進んでいる。行政に任せると広島もそうなるかもしれない。

観光連盟宮島百々氏。
国際アニメには毎回市が1億5千万出資している。ビエンナーレは1回2千万円かかった。経済同友会が1社500万計1億500万円集めたのをもとにした。ソフト展開は費用がかかる。
広島現代美術館解体論。
建物は立派なのに人が来ない。建物は買ってくれる人がいれば世界の金持ちに20億円
くらいで売って、中身は跡地に持って来る。地上は規制が厳しいので地下の駐車場の一角で展示。イベントをベースにした利用論は破綻する。
この現美売却論は誤解を招きそうなので、補足しますが百々氏の主張は要は現代美術を街中において気軽に見れるようにしよう。それなら人々が日常的に来るのではないか。20億円という数字は黒川紀章設計の比治山の稜線に沿ったいい建物だからそれぐらいの価値があるのではないかということです。多分。

RCCプロデューサー門田氏。
球場は昭和の遺産として残す。商工会議所はそのまま。市民球場は電気、給排水、トイレ等のイベントに必要な設備が既にある。
世界に向けた広場ではなく、広島市民に向けたものであるべき。流川に向かうように帰る前にちょっと遊びに寄るような場所。スタンドがあるのでちょっととしたステージを置けばビートルズが生まれるかもしれない。グランドに屋台も出来る。そこから新たな食文化が生まれるかもしれない。そういう広場なら自分は行きたい。お金もかからない。行政は特区なりであの場所に付けられた厳しい条件を変えて欲しい。
イベントではなく日常で集客。屋台の横でライブやプロレスをしてもいい。

中国新聞副社長山本氏。
跡地の規制を考えないといけない。「ヒロシマ」を生かした世界的な芸術イベントを数年に1回出来たらいい。
「夜」をどうするか。FFでも夜のイベントは警察の規制が大変厳しい。ここで「明日の広場」は市民球場跡でなくてもいいときわめて重要な発言。
パネリストの発言はここまで。続いて出席者間での発言。

古池氏。
集客性のない学校単位のイベントなどのソフトもいい。平和公園に来た人と地元との接点にならないか。
 
東氏
100数年前のN.Yでの体験を紹介。市と幼稚園と街の商店と近代美術館とが協力。市が金を出し、幼稚園児がピザ店でピザを食べた後、近代美術館で現代アートを体験。
PS1(パブリックスペース1)廃校を利用した創作スペース。街の職のない若者を雇い警備管理。イベントよりも日常の方が重要。

百々氏。
継続的にしないと集客は出来ない。

石丸教授。
広島の求める広場はヨーロッパ型でいいのか議論が必要。公園と広場は違う。緑の多い公園と舗装され囲まれた広場。広島はどう行くべきか広場だけではいけない。

都市計画の専門家松波氏。
世界の広場のプレゼンを取り上げ、カーニバルや火祭りなど「アホらしいこと」を大真面目にすべき。都市公園法の制約からの逃れ方を考えるべき。
球場跡地利用に関する市民案と事業者案の計400案は全て目を通した。今日語られたようなことは全て書かれている。そのパワーは大切にしたい。市民球場の閉鎖が今年度いっぱいまで延びたのでプレイベントを是非したい。

若狭氏。
(セトラとして)しゃべり場などのイベントを考えているので球場でするかもしれない。

この後、客席からの発言が2名。1人はお仲間。1人はプレイベントにはぜひ参加したいとのサクラ的発言。

シンポはここまで
ここでセトラお得意のアンケート集計となります。
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アンケートには明日の広場が実現したとしたらどのような運営がいいかとか催しはどんなのがいいかとか書いてありますが、結果を市に提出する時には”実現したら”の部分が削除されていたりして。回答数がやけに少ないのは理由があって冒頭で若狭氏がシンポの途中でアンケート回収に回るので早めに書いてくれと言ったのに回収に来なかったから。パネラーの半分が明日の広場について全然語らないので、怖くて回収出来ずに事前に用意していた回答を出したんじゃないかと邪推したり。

さて、このシンポなんでこんなになっちゃたのかという話ですが、多分団体間の温度差ではないかと想像します。今回このシンポを主催した「広島文化会議準備会」は岡本太郎の「明日の神話」誘致の流れをくみ、市民の文化活動の場として「明日の広場」を求めています。しかし、この「明日の広場」というものはきわめて抽象的なものであり、また場所も市民球場跡地にはこだわらないと言う発言も途中で出ています。

この曖昧で記号的な「明日の広場」を中振連とその下部組織であるセトラ広島が自分たちの求める再開発案の理論付けとして利用しようとしただけじゃないかなと思うのです。この温度差があるもんだからセトラの思惑を放っといて自分の持ちネタ披露に走ったのではないでしょうか。

それと文化人をコマにしようとしたのも失敗の原因でしょう。文化人とは筆1本で勝負する人たちです。基本的に人の意見を聞かない。自分の影響力が無くなったと思えばさっさと途中退場する人たちです。目の前に適当なエサをぶら下げりゃ言いなりになると思ったら大間違いです。

まあ、このシンポでドタバタぶりが顕になっても中振連は数ある触手の1本を無くしたぐらいのもので大した痛手ではないでしょう。

先日の報道にあるように地元商店街は跡地利用の行方を商工会議所に一任という言質をとった以上、商店街の連合体である中振連はこれまで以上の攻勢をかけてくるでしょう。

太田会頭だけが旗を振って進めようとしている商工会議所に振興会や連合会が市に跡地利用の再考を求めている地元の商店街。このままいくと太田会頭と中振連の一部の幹部だけが勝手に地元を無視した再開発を進めようとする姿勢に商店街同士が反目したり脱退ということもあるかもしれません。

中振連はもう少し足元を見直して欲しいものです。

このシンポジウム、あまりにもバラバラで聞くのもメモするのも非常に疲れたのですがこのドタバタぶりが見れたのが唯一の収穫ですかね。1本釣り出来そうな人もチェックできましたしね。

ああ、あと思ったのは私は自分では結構過激だと思っていたけど
この人この人この人に比べりゃずっと穏健だったのねということかな。


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芸北(八幡)までちょいと手伝いに。

広島市内からだと1時間半かかりますが着いてみればこの通り平地が続いています。
一山越えれば島根ですが、その山も低くなだらかです。距離があるので自転車で移動とはいきませんが車で20分ほど移動すれば大抵の用は済みます。

これで雪深くなければ最高なんですが。

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市内某大学のキャンパスにて。

このぐらいなら硬いからまだ臭くありません。
むしろ風が吹くとバラバラ硬い実が頭上に落ちてくるのでそっちのほうが危ないです。
近所の大学にはこれを拾いに一般の人が結構な数来るそうですがここはそういう人はあまりいませんね。学生も教職員も拾わないかし、清掃の委託業者もこういう”産物”はそれでも楽しみにしている人がいるかもしれないので落ち葉は集めても実は残しているので来週ぐらいからキャンパスに臭いが立ち込めるんじゃないかなと

今日でこのブログも開設1年を迎えました。

元々はmixiでやっていた日記に収まりきらないものを表に出し「広島にはこんないいとこがあるんだよ」というものを紹介して、あとは撮影機材だのPC関連だの情報を共有できればいいと考えていたのですが、いざ蓋を開けてみれば前半は新球場、後半は球場跡地問題と2つの球場がメインになってしまいました。

お陰様で特に跡地問題では多くの方と知り合えそのなかでもマリーナさんとは週に何度か閉店間際に駆け込むという実にただれた関係となっています。

このブログ開設してから半月くらいはいろいろ四苦八苦して記憶にあるだけでも4、5回はデザインやタイトルを変えています。

例えばこんなバナーを出していた時期もありました。
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現在は日によって差はありますが大体20~40アクセス程度です。ログを見る限りでは7割以上がリンクなどではなくブックマークからのようです。

検索で飛んでくる人は
加計のキハ28保存会
二井田工産
この2つが多いですね。私自身はそんなにテツ分が多いわけではありませんが何かの助けになれば幸いです。

今後ともあまりあちこちに喧嘩を売らないように穏かにやっていきたいと思いますので周りの方も煽らないように。
あと、あまり更新期間があくと遠方で失踪だの失恋だのあらぬ噂が立てられますのでほどほどに書いていきたいと思います。

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