フガドコ

広島見るもの歩くとこ

2010年07月

我が母校、広島県立広島観音高校が56年振りに高校野球広島県大会に出場と聞きいてもたってもいられずズムスタへ行って来ました。

56年前といえばまだ県立広島商業と別れる前の話。分離してからは初の4強にOBの血が騒いで収まらない。前日に上司の机に「明日代休取るよ」と紙切れを出したところあっさりと承諾されたので晴れて応援へと。
それにしても貯まっている代休を早く取れとやいのやいの言われているときにはどうして取れないのか不思議だな。

12時半の試合開始直後から観音は猛攻をかけ広陵選抜の2番手ピッチャーの上野を打ち込み4点を先制。広陵は今大会初めて先制を許します。
エラーも絡み追いつかれますが、キャッチャー益井の2度の捕殺等で勝ち越しを許さず6回には温存していた広陵のエース有原を引出します。
8回に先発塚崎が力尽き2点タイムリーを許し逆転。9回表もランナーをだすも届かずゲームセット。
6対4で敗れてしまいましたが、2時間30分の熱闘をよく戦いました。あと、ワシも最後は最前列でよく頑張った!

それにしても高校野球公式戦の旧市民球場での最後試合の最後の勝者が10数年前まで公式野球部のなかった我が母校とは感慨深いなあ。

あっそういえばこの試合3塁の審判が女性でした。
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広島のことを知り、学ぶ、繋がるキャンパスを持たない大学「ひろしまジン大学」その第1回目の講義に参加してきました。
今回の講義のお題は
「ここなんじゃったかいね?~本通り編~」

ホントは3月にあったプレイベントや5月にあった開校式にも出たかったのですがと3月は仕事が修羅場でしたし、5月は南方に送り込まれたので涙を呑んで不参加。

授業が開催されたのは6月19日。えっなんでこんなに上げるのが遅いかって?いろいろあったんだよ。

真面目な授業の内容はココをご覧になればどういった流れであったかが分りますので私はその授業で見聞きした自分に取って関心んのあることを覚書として聞きます。

講師は本通り商店街振興組合の渡邊敏明さん(PDF注意)

まずは本通りの基礎知識から。
かって山間部を通っていた西国街道が広島城の築城後に城下に移され、町屋が形成されたのが本通り商店街の始まりで自然発生的にではなく計画的に造られた町であるということです。現在でも福島時代に移ってきた店が残っていて「赤松薬局」もその一つ。

振興会の定義では本通り商店街とは東はパルコ前のスターバックスから西は木定楽器店まで577m。一般には1日の通行者が10万人といわれていますが朝8時30分から夜8時までの間の計測が約6万人であとはそれ以外の深夜・早朝の通行者とのこと。現在本通りには200店ほどあるがそのうち振興会には150店が加盟しているとのことです。

話はアーケードのことになり、現在のアーケードは2代目で屋根の素材は東京ドームと同じテフロン素材で20年経っても劣化していないとのことです。開閉式ではあるが実際には雨が降ったときの対応や店に日差しが入ることなどを考慮して開けないそうです。ただ、定期的なメンテナンスはしていてその際はキャットウォークに自ら上がられるとのこと。困ったことは風船がよくからまるそうです。初代アーケードは1954年に完成しましたが翌55年の大雪であっけなく倒壊。どうも設計と施工が杜撰(PDF注意)だったようです。
ここで渡邊さんから後でアーケードを開けましょうとの嬉しいお言葉を頂きます。

本通り商店街は大型量販店と競合しない50代から60代をメインターゲットにしているとのこと。この年代に人たちが安心して歩ける商店街というコンセプトとかけ離れているために広島FCから協力依頼のあった映画「バッドボーイズ」のロケは断ったそうです。これ自体は寂しい話ですが民間団体が自らの判断でしたことなので仕方のないことです。それよりも広島市からはロケに協力するなと言われていた広島FCが現場レベルではしっかり仕事をしていたことが嬉しいです。

本通りについての渡邊さんの話はひとまず終わり、実際に商店街に出ます。

昭和40年に市街表示が改まり、その際消えた旧町名を記した石板を本通りに埋め込んであります。
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この「巴里馬」は旧町名の播磨屋町にちなんだものだそうです。bf5e3a91.jpg


ここは戦前から同じ場所・店名で喫茶店を営んでいたそうです。DSC02413_874

一行は赤松薬局の3階に上がり82歳になる赤松偕三会長にお話を伺います。
赤松薬局さんは福島正則の時代の1615年に広島に店を構えて会長で17代目だそうです。
まずは戦前の本通りの話から。戦前の広島城に第5師団があった時代は日曜日になると兵隊が街に繰り出していて大変賑やかだったそうです。

大東亜戦争開戦の昭和16年は中学生で勤労奉仕で観音の総合グランドへ出かけていたそうです。当時の広島はスポーツが大変盛んでしたが競技場が無く大会時等は陸上は広大、野球は広商のグランド、水泳は二中のプールを借りていました。二中のプールとはかって観音小学校にあった国体規格の50mプールのことです。
勤労奉仕で観音の総合グランド建設に参加し12月8日グランドの落成式の日に広島二中(観音高校)と崇徳中学のラグビーの試合の観戦中に開戦を聞き、家に帰りラジオを聞いたそうです。
宇品から出る兵士が市内の民家に泊まり、赤松薬局も民宿と化したとのこと。
今のパルコの場所にあったキリンビアホールがはじめは雑炊で後に団子汁食堂になったとのこと。

原爆投下時は岐阜の大学へいて知らせを聞き8月9日に海田市まで鉄道で戻り、そこから焼野原を歩いて市内へ入り救護所となっていた勧業銀行を覗き店のあったところへ行ったけども一面焼け野原でどこが店かわからずその時は牛田の祖母の家へ戻ったそうです。
日を改めて焼跡へ行くと見覚えのある庭石があり、そこが店だと分かり御両親の遺体も見つかったそうです。日ごろからお父さんが何かあった時にはここを掘れと言っていた庭石の下を掘ると荷物や書類の疎開先を記した書付と貴金属があり、それを元に復員したお兄さんと店を再建出来たそうです。

ちなみに戦後すぐの頃はは平和大通り、大打越峠、饒津神社は夜盗の三大名所でそこを通るときは付近の軒先からゴミ箱の蓋を拝借して通り抜けたそうです。

参加者から関係者が全て亡くなったような土地がどうなったかという質問が出ました。会長の回答は中島町の旧大正屋呉服店に設けられた広島市の復興局が道路建設や区画整理を担当していて相続者がいない土地はその代替地に割り当てられたとの事。理赤松薬局も現在の袋町公園の場所にあった屋敷の土地を提供する代わりに本通りの店の土地を広げてもらったそうです。復興局の具体的な仕事についてはあまり知られてなかったのでした。

実際に赤松薬局裏側の中庭を見せてもらいます。DSC02402_873
会長が立っているのは原爆で割れた庭石。いまは犬の昼寝場所。

この中庭は会長の愛犬の縄張りなので庭のあちこちに生産物が転がっていて犠牲者が何人か・・・合掌。

江戸期からの町屋の坪庭が原爆で被災したにも関わらずそのままの形で残っていることに驚くべきではないかと妙な関心をしたのは多分ワシ一人。

場所は再び変わりあるビルの屋上。利用者向けの駐輪場96a41bbd.jpg

これは知らなかった。

テラスでのオープンカフェ。DSC02419_880
風が気持ちいいんでしょうね。

そごう方面を望む。0a05af60.jpg

この光景は広電ビルが建設中の今だけ。

一行が見守る中アーケードが開きます。9e4fa7eb.jpg

結構大きな音がするかなと思ったのですが割かし静かです。

アーケード下におりて再度開閉。DSC02449_877
あのう、あまり通行者が上の様子に気付かないんですけど。これはこれで寂しいぞ。

こちらが今回の講師の渡邊さん。DSC02450_878

ありがとうございました。


初めて合コンなるものに参加してきました。

広島ローカルのタウン情報紙TJ Hiroshimaさんの名物コーナーに「 ROAD~結婚まであと何章?~」という半ページほどの山根編集長自ら合コン遍歴を赤裸々に語った連載があります。

その連載の企画で「パン作り合コン」をすることになり紙面で参加者を募集したのですが開催日が近づいても男性が集まらず編集長がTwitterで募集をかけることに。

その時のツイートが「おーい、パンが食えるぞぉ」という実に色気のないもの。しかし色気より食い気の欠食男子どもには効果があったようでぞろぞろ名乗りを上げたので戦術としては正しかったのかも。そういえばこの人も名乗りを上げましたがあっけなく却下されました。あなたは既婚者でしょう。

会場となったのは三篠の「ハチラボ」さん、集合が13時でしたのでちょいと早めに現地に着くように向かったのですが場所がワカラン。住所としては間違いがないはずなのにあるのは古ぼけた看板も何も無いビル。上がって表札見ればいいやとドアを開ければあれ?想像したのは郵便受けやら上の階に上がる階段のあるビルの1階を想像していたのにそこはいきなり板敷の空間。聞くところによると以前大家さんが呉服店をしていた場所をパン工房に改装したとのこと。ちなみにこちらでは販売は行っておらずパン教室か他店への卸のみとのことです。

そこで待つことしばし。続々と参加者が集まり男女3名づつのパン作り合コンがスタートしました。あっ女性1名は編集長の山根さんご本人ですw

まずは手始めに細くて固いグリッシーニからなのですが、いざスタートといっても男3名女1名はパンは全くの素人かつ女性2名はじつはこの「ハチラボ」さんのパン教室の常連さんという組み合せではお相手の女性はパートナーではなくお師匠様。指示を仰いで胆の部分はお任せして私はひたすら捏ねる捏ねる。けどねえこれはくせになるよ。掌全体でパン生地の粘りが変わる様子が実感できるのが非常に面白い。「もっと、もっとこねるんだー」と脳がストッパーが切れたように腕に指示を出す。
この後生地を三つに分け一つはプレーンで一つはレモンとパセリを残りはハムを練りこみました。

パン作りに夢中になっている6人の男女の横をカメラを手にして出入りする怪しい人影。実はこの方先生の旦那さん件デザイナーさん。この旦那さんがTJ Hiroshimaのデザインをされていることが縁でこの企画が成立したそうです。

グリッシーニを窯へ放り込むと今度はピザに取り掛かります。
あらかじめ先生が用意した2種類の生地を押して引いてなだめて薄く薄く伸ばします。トマトを塗りクルミやらを乗せます。

パンが焼きあがると早速試食会。グリッシーニは先生が焼いたものを並べ、自分の作品(?)はお持ち帰りです。

グリッシーニは生地に練りこんだ食材の香りや歯ごたえが楽しめ、ピザはどうしたらこんなに生地に違いが出来るのだろうと不思議に思いながら食べました。

飲み物は白ワインにオレンジを漬けたもの。甘くてゴクゴクいけるけど当然ワインだから後から効いてきます。自転車で来なくて良かった。

そういえば教室内では山猫編集長が同い年だったり男性参加者の一人がかなり同業者に近いとか結構会話はあったのですが浮いた話は一つも無かったなあ。結局出会いが無いんじゃなくて出会いを出会いと思わない鈍感さが元凶なんだよとつくづく思うのです。

それはともかくとして生地をを捏ねるのは実に楽しかった。今度はうどんとかそばを打ってみたいですね(そっちかい!)

持って帰ったパンは結構いけました。食べたのは翌日ですが噛んだ瞬間レモンの香りが口の中に広がりました。9991b6ad.jpg



先日のブログで日曜に第15回ヒロシマ国際ハンドボール大会を観戦すると書いたのですが、日曜に急な仕事が入ってしまい行けなくなってしましました。

土曜日は別な要件を入れていますので無理。というわけで金曜の仕事帰りに無理やり突っ込みました。
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仕事をなるだけ早く終わらせて会場に着いたのは19時15分。第1試合の日本代表対NEO日本代表は既に終わり、第2試合は中国対バーレーンという縁もゆかりも無い組み合わせだったのですが僕は試合が見られればいいのでそんなことは気にしない。なんといいっても両チームともアジアでは上位ですし。

前半の半ばくらいからバーレーンの速攻が決まり得点を重ねます。ea87702f.jpg


床が汗で滑るのでしばしば中断があります。810fe593.jpg


前半終了間際に中国が巻き返して一時は同点に追いつきます。023dfa00.jpg


14対12とバーレーンの2点リードで前半を折り返します。

明らかな得点機会を反則で妨害すると7mスローが与えられます。13e3d160.jpg


後半はバーレーンがリードした状態での取ったり取られたりの1進1退で終了間際まで進みますが残り45秒という土壇場で中国が追いつきます。5f2a7971.jpg

残り1分を切っているのでバーレーンはゴールキーパーまで攻撃に参加。結局このシュートが決勝点となり27対26でバーレーンの勝ち。
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今回は日程の都合で1試合しか見られませんでしたがやはり男子の試合は迫力があります。秋以降の日本リーグも楽しみです。

第15回ヒロシマ国際ハンドボール大会が今週末の7/23(金)から25(日)まで広島市東区スポーツセンターで行われます。
この大会は1994年に開催された広島アジア大会のメモリアルイベントとして、その翌年から始まりました。広島県協会による国際親善トーナメントで毎回、海外からチームを招待して日本代表や広島のチームとの対戦しています。
今回は男子は日本代表、NEO日本代表、中国代表、バーレーン代表。女子は日本代表、広島メイプルレッズが参加します。


試合の予定はこのようになっています。
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会場の東区スポーツセンターはコートを周囲から見下ろす形での観戦となりますが客席とコートの間は結構近いので迫力ある試合が楽しめます。私も何度か観戦していて初期の頃の写真が家にあるはずなのですがどこへしまったんだろう?あの頃はねえコニカのGX3200なんてフィルムで撮っていたんだよ(遠い目)

私も日曜の男子日本代表の試合にはいこうと思います。

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