1/2・3で開かれた修道学園の学祭に片隅にある土蔵を見てきました。

こちらは2.3年前に愛宕町にあったものがマンション建設に際し修道学園に移築されたものですが、その前には広島城内今の裁判所付近にあったものという伝承があります。

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広大の三浦先生などの調査により広島城内のものであるとほぼ間違いない事が判明した時点で所有者から広島市に引取の依頼がありましたが市側は確証がないとあっさりとに断り、見かねた修道学園が土地と費用を出し引き取りとなりました。

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何故修道学園かといえばこの蔵が建っていた場所は城内の学問所でありました。広島城内には多くの土蔵がありましたがそれらに比べ修道の土蔵はサイズが小さく、図面を調査したところそのサイズの土蔵は学問所にしかないという事になりました。そして修道学園の始まりは浅野藩の学問所、という事で修道学園のルーツに繋がる建物という事でした。


時間的な制約で解体前にはほとんど行えず解体後の材料や移築の際の調査となりました。その際に出入口が入側にあった出入口を愛宕町に移転の際に妻側に付け替えた事が判明しましたが千田町への移設に際してもは妻側に残したままなりました。またおそらくは基礎は2段の積み石になっていたであろうものを1段になり、また元々の礎石は使われていません。このように様々な制約で城内にあった姿とはいえませんが現代の耐震基準にも合致する建築となっています。


土蔵の中は資料館になっています。建物を傷つけないよう展示は内側に展示用の合板を設置してそこへ掲示するようになっています。

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