フガドコ

広島見るもの歩くとこ

日常

新年あけましておめでとうございます。

2018年は呉・江田島方面に行く機会が増え、休みでも広島市内ではなく呉周辺で施設見学や清掃などに参加することが多くなりました。いい加減一匹狼というか野良犬的な取材も難しくなっていたと思っていた頃に、そちら方面に詳しい知人も増え単独では入ることの難しい場所の見学などにも参加することが増えました。
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その中で起こったのが7月6日に起きたの豪雨災害です。
私や家族には直接の被害はありませんでしたが、業務での関係先や頻繁に訪れていた呉や江田島で大きな被害が発生し私も土砂撤去のボランティアに何度か行きました。
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この豪雨被害は交通網甚大な被害をもたらし国道31号線が5日後に仮復旧したものの呉道路やJR呉線の広駅までが復旧する9月末まで深刻な渋滞で通勤通学や物流など市民生活に大きな影響を与えました。現在でも呉線の小屋浦付近では徐行運転が続いていて完全に元通りとは言えない状況ですし芸備線は橋梁が何本も流出して狩留家から三次までの間の復旧は早くても2019年秋となっています。

一方で呉線・呉道路・国道31号線の復旧ではJR・国・県の垣根を超えての効率的な復旧やJRが運休の間の代替交通として全国からバスとその運転手が応援に来てくれたりと様々な支援がありました。

もちろん災害の影響を受けているのは交通インフラだけではなく被災した元の住まいに戻ることができずに仮設住宅や公営住宅に仮の住まいとされている方や被災地での再建を諦め転居された方が多くいます。仮に元の場所に戻るにしても、いまだに2014年の土砂災害を受けての防災工事が終了してないことからも分かるように元の暮らしに戻れるようになるには数年は必要と思われます。


豪雨災害以降、暗くなりがちだっな広島市民を勇気付けたのはカープのセ・リーグ3連覇でした。野球が始まるとテレビのない飲食店は客がいなくなると愚痴が出るくらい多くの広島やその周辺の市民が釘付けになり優勝に歓喜しました。

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そのカープも日本シリーズではホークスに1勝しかできず力の差を見せつけられ、私は球場で目の前で工藤監督の胴上げを見る羽目になりました。これはカープだけでなくセパ交流戦での勝敗に見られるように両リーグの間の実力に大きな差がついたように思えます。 私はこの原因はカープを含む背・リーグ球団のデータや考えるプレーの軽視があったのではないかと思います。しかし幾つかの球団は変化の兆しが見られますので近いうちにセがパに追いつくかもしれません。
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一方前年J2への降格争いに巻き込まれたサンフレッチェは城福監督のもとで戦いながら若手を育てる世代交代の難しさに直面しながらもシーズン前半の貯金を使い2位の座に着く事が出来、3年間で7億円の理念強化配分金とACL出場権を手に入れました。またJ1スタジアムライセンスをクリアするためのトイレ改修とACLライセンスクリアの座席の個席化に着手をしました。
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サンフレッチェの新スタジアム問題はそろそろ場所だけは決まりそうです。建設や運営の主体に建設費の負担など課題山積で実現にはまだまだ時間が掛かりそうですが、それでも紙屋町・八丁堀地区が国の都市再生緊急整備地域に指定されるなど周辺の再開発は進む気配を見せてきました。マツダスタジアムが出来たことにより広島駅周辺の再開発が一気に進んだ様に何らかの影響はあると思います。

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2019年もスタジアム問題を始め思う様にならない事も多々ありますでしょうが愚痴っていても格好悪し何より面白くもないですので、スポーツや街づくりなど頑張る人たちを応援していきたいと思います。 

NHKの朝のニュースに絵本作家のかこさとしさんが登場していました

温かい絵とお話しで「カラスのパン屋さん」はじめ幼少の頃はお世話になりました。それからウン十年経っているのでまだご存命な事にも驚きましたが91歳になって新作を3冊発表という事でさらに驚きです。

気になってwikipediaをみたら東大工学部応用科学出身の工学博士で昭和電工に勤めながら手がけたはじめての絵本が1959年のダムが人々の生活にどのように役立っているかを説明した「だむのおじさんたち」といこと。以後1973年47歳で退職されるまでは兼業作家でした。

Twitterで教えてもらったのですが故郷の福井県武生市(現越前市)にはかこさとし記念館もあるそうです。あれ、かこさんは高知の出身じゃなかったかな?とちらっと思ったのですがそれはアンパンマンのやなせたかしさん。しかもやなせ先生は育ちが高知で生まれは東京で勘違いもいいとこです。

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今年も無事に広島と長崎の平和式典を終えることができました。私自身被曝2世であり遺族でもありますし広島の方の式典には少しばかり関わりがありますので今年の8月6日と9日を振り返ってみたいと思います。

6日の日の朝は式典が始まる前から会場となる平和公園の川向こうとなる原爆ドーム前で拡声器で労組系とおぼしき団体が声を上げていました。中身はといえば広島とも原爆ともほとんど関係ない政府批判です。朝早く暗いうちから参拝し亡くなった身内に祈りを捧げる人達の気持ちなんか一片も顧みません。なぜ彼らの活動がが世間から疎まれ衰退していったかがよくわかるります。

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8時前になると慰霊碑脇の規制線外から「あべかえれ!」の声が上がりました。叫んでいたのは声からして毎年労組系の先頭で扇動をしている活動家と思われる女性。しばらくしたらSPとつまみ出されていきました。

平和宣言の最後で8月8日と日付を間違え慌てて6日といい直しました。松井市長に取って8月6日より大事な8日が何の日かは分かりませんがこうなる前兆はありました。前日の5日夕方のリハーサルで松井市長は平和宣言の途中まて読み上げて「こんなもんでいいでしょ」ととっとと切り上げてしまったそうです。同じ途中で止めるにしても他に言い方はあったでしょう。そこに居合わせた皆は広島の市長がこんなに軽くていいのかと思い不安がよぎったそうです。そうしたら案の定です。このことを報じた地元マスコミは私の知る限りなくネットでちらほらと見た程度でした。何かにつけて市長という仕事に取り組む姿勢が軽くその為何度か舌禍を起こしてます。このような職務に対する不誠実な態度は市民に取り判断材料だと思いますが何故かメディアは市長にひどく寛容です。

平和宣言が終わり小学生による平和への誓いが読み上げられ出しますと資料館東館北側に集まった損保会社の拡声器が音を出し始めました。彼ら自身の慰霊祭を始める為でありますが周辺には木陰でモニターやスピーカー越しに式典に参加されている人たちが多数います。そもそも公園内で拡声器の使用というのがかなり非常識であると思います。しかしそんなことは御構い無しに彼らは進めていきました。

最後に9日の話です。社外を移動中はラジオをつけてることが多いのですが事前に番組表を見ていたので11時前にRCCからNHKへチャンネル変更をしました。
平和への誓いまで聞きラジオのチャンネルをRCCへ戻すと相変わらず甲高い笑い声でバカ話。正直ムッとしました。
RCCでも11時から鐘の音、黙祷、広島と長崎を伝える意義を語りスポンサーである長崎のジャパネットの方と長崎の様子について語り合う短いながら良い話であったと局の方は言われました。
しかし残念ながら私にはチャンネル変えた瞬間に聞こえた甲高い笑い声は例えるならば法事が終わらぬのにバカ笑いしてるようにしか聞こえなかったのです。また日頃から広島の長崎に対する冷淡さを実感しているだけに僅か数分の扱いで良いのかという思いもありました。

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1月末まで延長になりました

盆休みには女子のツアーに便乗して今月で閉館する予定の薬研掘の第一劇場へ行ってきました。人生初ストリップ劇場です。

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いざ見てみると抱いていたイメージしていたものとは違い踊り子さんの美しさ、強さ、しなやかさ、その他もろもろなものをぶつけててきてあっという間に持ち時間が終わってしまいます。筋肉と骨格の浮き出た肉体を目一杯使う表現は確かにエロスでありながらアートであり女性からも称賛の声が上がるのが理解できます。アスリートという表現すらしていいと思います。例えば今回出演した安田志穂嬢は日の丸を背負いジンギスカンで踊っていたかと思うとランナーの姿で一人の道を流しながらの演技と指先の動きまで気を配っているのが見て取れました。

感動のあまり13時開演から2回公演19時までほぼかぶりつきに近い席で楽しませてもらいましたし、ポラロイド撮影には並ぶしと女子とワーワー言いながら楽しませてもらいました。

ホントは女性でも楽しめるショーなのに表で宣伝出来ず新規客となる層にイメージを伝えられずかといって飲食で稼ぐ事も出来ずにズルズルと古いイメージで常連が減っていったのではないかと想像します。余語の事がない限り今月末で閉館です。少しでも興味のある20歳以上の方は行かれてみてはどうでしょうか?



8月20日未明に広島市を襲った局地的な豪雨は大きな被害をもたらしました。
 次々と明らかになる被害の大きさに言葉がなかなか出て来ません。亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早い被災地の復旧復興に向けて、できる人ができる事を継続的に取り組んでいければと思ってますし自分もそうしたいと思います。

広島市とその周辺の多くは被災地と同様の風化した花こう岩で崩れやすい地質です。また被災地以外にも山岨山裾や谷筋を開発した宅地は広島市周辺には数多くあります。今回は幾つかの条件が重なり安佐南区から安佐北区にかけての際め狭い地域に集中的な雨が災害を引き起こしましたが今回の同様の災害は被災地以外てありうることなのです。今後は特別警戒区域の範囲拡大や指定方法の変更含んだ土砂災害防止法の改正も検討されることになりそうですので広島という地域の街づくり少なからず影響してくると思います。

私は今回の災害の一番の特徴は極めて局所的に起きたことだと思います。特に被害の大きい安佐南区の緑井・八木地区は山の中腹まで切り開き更に谷筋を開発した住宅地です。ここに上流から多量の土砂が流れ込み大きな被害をもたらしました。この土砂は家を全半壊させただけではなく道路まで埋め車輛や重機の侵入を阻み復旧の大きな障害となりました。 

その一方で国道54号線を越えた東側は普段と変わらぬ日常生活が営まれています。物資の調達は全く支障もなくお金と輸送手段さえあれば被災者でも手に入らないものはありません。阪神神戸や東日本の震災との一番の大きな違いは日常と非日常が隣り合っていることです。

自分に出来ることをしましょうということで災害ボランティアに参加して来ました。今回私が向かったのは安佐北区のボランティアセンターです。安佐北区は安佐南区に比べて死者が少なかった為に報道量が少なく安佐南区に比べて集まりが悪いと聞いていたこと、捜索活動が終了し立ち入り規制が少ないこと、また私が参加した日の前日に広い範囲で避難指示・勧告の解除されて活動できる場所が多いのではないかと思い安佐北区に向かいました。

受付開始は8時半でした8時の時点で相当数の人が並んでしました。皆長袖長ズボン長靴に手袋帽子もしくは手拭いでボランティア活動が始まった当初に報じられた軽装の人はいませんでした。f3b94d8e.jpg


受付開始から現場近くのサテライトである三入小学校に着くまで1時間半程度かかりました。これは先頭から受付、説明、現場ごとのグループ分け、送り出しを順にしていくのでやむをえません。それでも受付と保険加入を並行して行うなど少しでも短縮する努力をしています。これを大幅に短縮するには現場で直接受付するしかありません。大規模な現場では可能でしょうがそれ以外では現地の負担が増えるだけなので今のやり方を少しづづ改善するしかありません。ボランティアを受け入いれるボランティアセンターもボランティアで運営しています。彼らは限られた人数で本当によく動いてくれています。
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サテライトのボランティアセンターである三入小学校には道具が用意してありました。よくみてみると購入したものもありますが各地の社会福祉協議会から提供されたものが多くあります。スコップ鍬に土嚢袋、バケツ一輪車と道具は揃っていますので新たに購入する必要はなく基本自分が身に着けるものと弁当飲料があればいいと思います。
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午前中は民家の泥だしを行いました。山の中腹で小規模な土石流が起きそれが麓の農業用のため池を埋めそこからあふれ出した土砂と水が民家に流れ込んだというものでした。既にその家の方により泥は土嚢袋に詰められていてそれを道路縁に運び出します。道路に出しておけばあとは行政から委託を受けた業者が随時回収して回ります。作業は昼前に終わりましたがサテライトへに戻ると再度の派遣されました。
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午後からは別の地域で山から流れ出した土砂の除去です。向かった地域は道も民家の庭も広く土砂に覆われていましたが道路は車が通れる程には取り除かれていました。また下の方の民家が多い地域では自治会が呼びかけ集団で除去活動をしていました。しかし上流では住人が高齢かつ土砂の量も多いということでボランティアセンターへの要請となりました。
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こちらでは20人ほどが3班に分かれ2軒の民家敷地内の泥だしと山肌の土がこれ以上民家へ流れ込まないようにと除去とブルーシートを敷く作業をしました。作業は15時で終了しボランティアセンターに戻ったのは16時前でした。この終了時間は基本的にどの場所でも変わらないはずです。

今後被災地域が災害以前の生活に戻るにはまだ時間がかかります。しかし今後行方不明者の発見、避難指示・勧告の解除、可部線の被災区間の運転停止の解除と周辺がに日常を取り戻し未復旧の範囲が狭まるにつれて人々の関心が減っていくことは容易に予想できます。被災地域が元の姿を取り戻すまで関心を持ち続けその時出来る支援を続けていきたいと思います。

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